三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

枕を濡らしたくないから

勤務中以外、行き帰りの電車に乗っている時や自宅にいる時は涙を流している。

 

電車の中で顔色が悪かったら「大丈夫ですか」と声をかけられるが、俯いていて涙を流しても不思議そうな顔をされるだけで何も言われない。こういう時だけ都合良く世の中は回る。

冬は厭でも気分が落ち込む季節だ。

涙を流すのは現在進行形の自分の不甲斐なさではなく、未来進行形の自分の不安定さ故に、である。

誰かのものともわからぬ、吐き捨てるような「死ね!」という怒鳴り声、関わりたくない類の人間の意味をなさない金切り声、様々な声が聞こえては耳を塞ぎ、沸き起こる破壊衝動を抑えては頭を抱える。

 

「おでぐちは、ひだりがわです。」

 

朝早く目を腫らすと、降りる時にはハンカチが欠かせない。

陰鬱なスーツ達をかき分ける。

少しだけ大きな声を出す。

 

「おはようございます」

ありのままの私は死んだ。

精神的郷愁

夢を見る。

 

中学生や高校生に戻り遅刻しそうになる夢、とんでもないことをしでかす夢、そして、碁盤目の京都や要塞の如き大阪で買い物をする夢。

今や買い物に行くのに不便は無い所に住んでいるにも関わらず、夢に見るのは遥か西。ジークムント・フロイト的な抑圧された無意識は、大学時代に過ごした関西で埋め尽くされているのだろうか。

 

集団主義を是とする義務教育から高校、大学と、進学を重ねる度に自分の心が軽くなった。その中でも大学は自分には非常に心地よかった。人間関係に縛られず、親のすねをかじり、責任もさほど問われない。モラトリアムと言われるだけのことはある。

 

でも、自分は今は大学生ではない。

あの頃と同じ感覚で生きているわけではなく、自分で生活を彩る楽しさを感じ、それに伴う責任を抱えて生きている。

 

それでもなお、夢の中で関西が花咲く。

大学を卒業して故郷に帰っても、関東で仕事をしていても、心だけを関西に置いてけぼりにしているような感覚だ。

精神の故郷。

近いうちに、また帰られるだろうか。

加速するダメ人間

2016年になってしまった。

 

諸事情により、一人暮らしをしているマンションで年末年始を過ごす事になった。

 

この数日家事はちょくちょくしているものの、初詣は行けないし、バーゲンの類やイベントには行っていないのでろくに汗をかいていない。自宅でやることは、申し訳程度の勉強と、動画サイトの閲覧、食事、そして寝る事だ。

怠惰な日々だ。

 

仕事納めの日に買いだめをしたことにより、ダメ人間っぷりが加速してしまった。スーパーで500gが100円に満たない乾燥スパゲッティを買い、冷凍の鶏肉を買い、朝食用に大量のヨーグルトを買ってしまった。おまけに根菜の備蓄や冷凍した白飯もある為に、食事関連で外出する理由もなかった。

 

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

 

 言わずと知れた、レンジでパスタを茹でる容器である。

鍋で茹でるよりも手間無く、しかも失敗も少ないので長年重宝している。一人暮らしの部屋にはコンロが1口しかない場合も多く、調理器具の確保という面でも非常にありがたい。

6年前に500円程度で買った覚えがあるが、レンジという過酷な労働環境にも負けず、未だ現役である。

 

本来なら確保したコンロでソースを作りたいところだが、それを怠り、1食分50円程度の温める必要のないソースを入れたらダメ人間の完成である。個人的には、ハチ食品の粉末パスタソースがかなりお手頃でカロリーも少ないのでオススメである。

 キユーピーのあえるパスタソースはやや値が張るが、和風の具材で食べやすくハズレはない。

そういうことで、パスタを毎日昼に食べていた。

さすがにこれだけだと糖質に偏るので、これまたスーパーで買ったキャベツをスライサーで千切りにし、レタスとミニトマトをちりばめ、ドレッシング代わりの味付めかぶを入れたサラダと、納豆で見かけの栄養バランスを保とうとした。まあ、ろくに外出しなかったのだから栄養だの何だのあまり意味はない気がする。

とりあえず運動不足防止として、自室は高い階数にあるので、この2週間ほどはエレベーターを使わずに上りも下りも階段で行き来した。

実家で年末年始を過ごす時も、日持ちの良く美味なおせち料理という存在がダメ人間っぷりを加速させていたのだが、食材や味に関係なく、保存に適したものがあればそれは自分を尽く堕落させることもわかった。

 

今日もこたつでみかんを貪る。

夜を歩く

夜を歩く事が多くなった。

 

実家にいる時はさすがに無理だし、大学時代の下宿周辺は灯りが少なく歩くのは不向きだった。

 

それでも、たまに京都の三条・四条で夜通し飲み明かし、始発を待つ間、コンビニでも発売されているかのラーメンの香りに惹かれながら、ありふれた牛丼に誘われながら、薄暗い道やアーケードをほどほどの警戒心で歩く事が多かった。等間隔で並ぶカップルのいない、静かなせせらぎの鴨川をぼんやりと見つめるだけで、無心になれた。

 

就職して住み始めたここでは、少し古びた店々が夜になると一気に輝く。

 「行きつけのお店」がない、専ら一人で宅飲みする私には眩しい。

どこぞのスナックから聞こえる、酔いの混じった歌声を聴く度に、私の知らない楽しい世界があるのだとしみじみ感じる。

夜は寝るものなのに、みんないつしか寝る時間すら惜しくなっている。

 

何も考えることのなかった小学生の頃、夜の9時には寝ていた。

あの頃は、1日があと3時間で終わるとは思わなかった。

冷蔵庫が故障した

冷蔵庫が故障した。

冷蔵も冷凍も全く機能せず、ただただ食品が腐っていく。

 

今は新しいものを購入し、何とか元の生活に戻ったのだが、自炊をする機会が多い私には失ったものが多かったし、学ぶべき事も多かった。

原因など探っても仕方ないので、次回故障した時の為に今回気がついたことをメモしておく。

 

●物を詰めすぎない

故障したのは秋の気配も感じられる夏場だった。アイスクリームなど溶けると味も形も崩れて食べづらいものを入れていなかったのは不幸中の幸いであったが、それでもとても1日やそこらじゃ消費しきれないお弁当のおかずの作り置きやカットした野菜を入れていたので、一気に食べられるはずもなく腐ったりカビが生えたりして処分する事になった。

物を詰めすぎると性能が落ちるし、消費しきれない量の食品を置ける状態が無駄遣いを招く可能性もあるので、自炊するとしてもスペースの3〜4割が空くくらいのほどほどが良いのだと感じた。

 

●さっと消費する

これがなかなか難しいのだが、冷凍庫で「故障か?」と咄嗟に判断・認知して、さっさと消費したほうが食品のロスも少なくなる。冷蔵庫にある野菜をフライパンにぶちこんで野菜炒めを作ったり、肉や魚介類なら醤油や酒、生姜で味つけなど。このようにレシピや形式にこだわらず臨機応変に作れたら良いのだが。

 

●故障以外でも冷蔵庫は動かなくなる

例えば停電。私は台風による停電を度々経験しているのだが、停電時間が最も長かったのは(小さかったので殆ど覚えていないが)まるまる一週間である。

今後このように長い停電が起こらないとは言えない。

扉の閉め方が不十分で……ということもなきにしもあらずで、これは個人が気をつけなければならない。

 

●修理するより新しいものを買ったほうが良い時もある

以下のページに、国内の冷蔵庫メーカーの修理料金を掲載している。

 

修理料金の目安一覧表:日立の家電品

 

東芝 総合お客様サポート:冷蔵庫出張修理概算料金

 

今回のように冷蔵も冷凍も全く機能しない場合、おおよそ3〜6万円はかかると見込まれる。単身用の冷蔵庫は3〜4万円ぐらいなので、長期間使用して保証期間を過ぎているなら買い替えた方が良いと思える。

 

自炊する人間には今回の出来事はなかなかショックだった。故障したと分かった時は平日で食品を十分に消費できず、さらに新しい冷蔵庫を買おうと決心した時に諸事情あって実家に帰ることになったので、多くの食品を腐らせる苦い結果に終わった。

計画的になりたい。

本に興味がなくなっちゃった?

そういえば最近本を読んでいない。

 

いや、読んでいないと言うよりも、「書店で平積みにされている話題の本を読んでいない」だけかもしれない。

 

雑誌の類はまあまあ読む。最近だとサンキュ!、クーリエ・ジャポン、ターザンなど。情報の鮮度が長く保たれる事はないが、その代わりか内容は頭に入りやすい。

会社勤めになったし、そろそろ勤務期間に関わらず「新人」であることは卒業して手際よく仕事をこなしたいものだ。その為に読むとしたらビジネス系の書籍なのだと思うのだが、どうも手に取る気になれない。

 

「◯◯なら△△せよ」というタイトル、あるいはそんなコピーの帯が巻かれた本はそれだけで食わず嫌いをしてしまう。

やたら暑苦しく仕事を語る本も古臭いし、自己啓発本も何だか胡散臭いし……。「××すれば必ず出世する」?自分のルールぐらい自分で決めるし……。

 

結局手に取るのは技術者向けのリファレンスブックだったり、料理本だったりする。

いざ何か養分となる書籍を探そうとしても、書籍が溢れている上にどれにも深く興味が持てず、最終的に実践しやすい上記のような無難なチョイスになってしまう。

 

以前は新書を購入しては読み込み、購入しては読み込み、の繰り返しだったのだが、何故だろうか。本など読まずに自己研磨だけで成長できるとかそういう高見があるわけでもなし、寧ろ吸収できるうちに吸収したいのだが、どうも本に興味を持てない。

 

こんな調子でも読める本はあるだろうか。

自分でアイスコーヒーを淹れるということ

夏が近い。

 

今時、コーヒーを飲む事に苦労はしない。そこらの自動販売機、喫茶店、最近ではコンビニに行けばホットでもアイスでも淹れたてを飲める。

 

しかしカフェイン中毒気味の私にはドトールのSサイズすら辛い事もある。そして喫茶店はどこもかしこも人が多く、座る事もままならない。特にこれからは喫茶店で喉を潤わせ涼む人達も増えるだろう。

 

こうなったら、自宅で自分の体に合った量のアイスコーヒーを淹れるしかない。

ただ、自分で豆をチョイスして自家焙煎というほど凝ったものではなく、ブレンド豆をミルで挽いて香りを楽しみ、ドリッパーに注ぐだけ。手軽さはないが本格的でもない。ちょいと初期投資をすれば、わざわざオシャレなカフェでmacbookなんか持ち込まなくとも意識高い系を演じられる、もとい、自宅がカフェになる。

 

私が使っているドリッパーなどは、アシストオンという原宿にあるセレクトショップで揃えたものである。

これがなかなかシンプルでオシャレ。7000円ほどで一式揃えられる。

 

ミルも同じくアシストオンで購入。「ミル買わずに挽いてあるやつ買えばいいじゃねーか」と突っ込まれそうだが、塩胡椒もミルで挽いて削りたての香りを楽しむ人間なのである。

 

さて、アイスコーヒーを淹れる。

熱湯で抽出して冷やすという過程はホットと比べて手間がかかるので、喫茶店でもアイスはホットよりも値段が高い事が多い。その理由もわかるぐらい、どうすれば美味しく淹れられるのか(と言うよりも、ほどよく冷たくできるか)迷いに迷った。

 

サーバーを氷水で冷やすのがいいらしいが、熱湯を注いだ直後だと急激な温度変化に弱いガラスが変形・破損する恐れがある。

そこで、カップに氷を多めに入れる方法にした。サーバーからカップへコーヒーを注いで、氷がほとんど溶けるようなら足りず、逆にそこそこ残るようであれば十分だ。

ちなみにカップはステンレス製のものである。大学時代、自宅の近くにコメダがありよくモーニングセットを食したのだが、コメダのアイスコーヒーに使われているステンレス製と思しき銀色に光るカップが良く冷えていて印象深い。

 

そこそこの手間暇をかけて淹れたコーヒーはなかなか美味しい。ナントカコーヒーに行かなくとも、コーヒーは、飲める。