三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

妄想カフェ巡り

一時期、どこかのプロフィールで趣味はカフェ巡りだと書いた気がするけど、それらしいことをした覚えが全くない。

コスパ重視でそれなりの器具(水出しコーヒーとか)を揃えてしまったのでカフェ巡りをする必要がない。最近は歯の調子が悪いので、外出先で食事をする時は歯みがきセットと、歯みがきができる場所がないと安心できない。

 

何でカフェ巡りなんて嘘を書いたのだろう。

いや、確かに、通りがかりの喫茶店に入ってはティータイムを楽しむ時期はあった。しかし、それも学生時代のことである。雑誌を読んだだけで行った気になっていたのだろうか。オシャレを気取っていたのだろうか。真相は自分の無意識にある。

そもそも自分の趣味は何だったのだろう。無趣味を誤魔化す為にカフェ巡りと書いたのかもしれない。空虚な自分に少しでも彩りを与えたいが故に虚構を作ったか。馬鹿馬鹿しい。

 

趣味が欲しい。

ぽっかり

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その街の名が歴史の教科書に載るのは1858年、日米修好通商条約の時である。

横浜みなとみらい21」と呼ばれる区画の一部には空き地が広がっており、都会であることを忘れさせるほど見通しも良い。今ほどビルやマンションが建っていなかった時代には、海に打ち上げられた花火が見えたそうだ。

「都会の喧騒」と言うけどここは静かで、何も考えずにぶらぶらと歩くのには丁度良い。何もないという安心感で満たされる。そして、都市は自然発生するものではなく人の手で作られるものだと実感できる。たかが160年ほどの歴史しかないこの街が証明してくれる。

私の地元の地方都市で大型店舗の閉店が相次いだ時、建物は取り壊され、間もなく駐車場になった。衰退を象徴する、都市の穴ぼこができた。しかし、空き地は衰退ではなく発展の可能性を秘めているとでも言いたいように、横浜はいつも変わらぬ空き地を準備して待っている。

空き地を守る囲いの中。枯れ草がすすり泣きをしている傍らでゴミが群れをなし、たんぽぽが根を張っている。

ペリーやハリスが来なかったら、空き地なんてなかったのかもしれない。

水出しコーヒーに手を出す

去年の記事で毎朝熱湯で抽出して氷で冷やす方式でアイスコーヒーを嗜んでいる旨を書いたが、やはり手間がかかるので今年は水出しコーヒーを作ることにした。

下記の道具を揃える前はコンビニでコーヒーを買って出勤するパターンも多かったが、職場の最寄駅から職場までの道のりにコンビニがなく、寄り道しないとコーヒーが手に入らないのは不便だったので、自宅で朝一番にコーヒーを飲むことにした。

 

 「珈琲の大事典」という本を参考に、まずは豆選びから。思考停止でブレンド豆、というのも味気ないので、アイスコーヒーに適したものを。焙煎度はフレンチ、メッシュは細挽き。

 

珈琲の大事典

珈琲の大事典

 

 

水出しコーヒー用のポットを手に入れる。書籍にも掲載されていた、有名メーカーでお手頃なものがあったので、これで決定。 

 

 作り方も簡単で、コーヒー粉をフィルターの中に入れ、水を少しずつ注いで8時間ほど抽出すればよい。

選んだ豆だとそこそこ苦味が強いが、冷水がほどよく中和してくれて、なかなか爽やかな味わいである。昨年に比べると、朝の慌ただしさがなくなり、余裕をもって飲むことができた。

 

欠点は、ペーパードリップより遥かにフィルターの掃除・片付けが面倒なことだろうか。

まず、抽出した後のコーヒー粉をできるだけ三角コーナーに捨てるのだが、フィルターに張り付いているので多くを取り出すのには骨が折れる。仕方なくフィルターの外側から水を流して掃除するが、シンクがコーヒーまみれになってさらに掃除の手間が増える。揚げ油の凝固剤のようなものがコーヒー粉に使えたら良いのだが。

枕を濡らしたくないから

勤務中以外、行き帰りの電車に乗っている時や自宅にいる時は涙を流している。

 

電車の中で顔色が悪かったら「大丈夫ですか」と声をかけられるが、俯いていて涙を流しても不思議そうな顔をされるだけで何も言われない。こういう時だけ都合良く世の中は回る。

冬は厭でも気分が落ち込む季節だ。

涙を流すのは現在進行形の自分の不甲斐なさではなく、未来進行形の自分の不安定さ故に、である。

誰かのものともわからぬ、吐き捨てるような「死ね!」という怒鳴り声、関わりたくない類の人間の意味をなさない金切り声、様々な声が聞こえては耳を塞ぎ、沸き起こる破壊衝動を抑えては頭を抱える。

 

「おでぐちは、ひだりがわです。」

 

朝早く目を腫らすと、降りる時にはハンカチが欠かせない。

陰鬱なスーツ達をかき分ける。

少しだけ大きな声を出す。

 

「おはようございます」

ありのままの私は死んだ。

精神的郷愁

夢を見る。

 

中学生や高校生に戻り遅刻しそうになる夢、とんでもないことをしでかす夢、そして、碁盤目の京都や要塞の如き大阪で買い物をする夢。

今や買い物に行くのに不便は無い所に住んでいるにも関わらず、夢に見るのは遥か西。ジークムント・フロイト的な抑圧された無意識は、大学時代に過ごした関西で埋め尽くされているのだろうか。

 

集団主義を是とする義務教育から高校、大学と、進学を重ねる度に自分の心が軽くなった。その中でも大学は自分には非常に心地よかった。人間関係に縛られず、親のすねをかじり、責任もさほど問われない。モラトリアムと言われるだけのことはある。

 

でも、自分は今は大学生ではない。

あの頃と同じ感覚で生きているわけではなく、自分で生活を彩る楽しさを感じ、それに伴う責任を抱えて生きている。

 

それでもなお、夢の中で関西が花咲く。

大学を卒業して故郷に帰っても、関東で仕事をしていても、心だけを関西に置いてけぼりにしているような感覚だ。

精神の故郷。

近いうちに、また帰られるだろうか。

加速するダメ人間

2016年になってしまった。

 

諸事情により、一人暮らしをしているマンションで年末年始を過ごす事になった。

 

この数日家事はちょくちょくしているものの、初詣は行けないし、バーゲンの類やイベントには行っていないのでろくに汗をかいていない。自宅でやることは、申し訳程度の勉強と、動画サイトの閲覧、食事、そして寝る事だ。

怠惰な日々だ。

 

仕事納めの日に買いだめをしたことにより、ダメ人間っぷりが加速してしまった。スーパーで500gが100円に満たない乾燥スパゲッティを買い、冷凍の鶏肉を買い、朝食用に大量のヨーグルトを買ってしまった。おまけに根菜の備蓄や冷凍した白飯もある為に、食事関連で外出する理由もなかった。

 

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

 

 言わずと知れた、レンジでパスタを茹でる容器である。

鍋で茹でるよりも手間無く、しかも失敗も少ないので長年重宝している。一人暮らしの部屋にはコンロが1口しかない場合も多く、調理器具の確保という面でも非常にありがたい。

6年前に500円程度で買った覚えがあるが、レンジという過酷な労働環境にも負けず、未だ現役である。

 

本来なら確保したコンロでソースを作りたいところだが、それを怠り、1食分50円程度の温める必要のないソースを入れたらダメ人間の完成である。個人的には、ハチ食品の粉末パスタソースがかなりお手頃でカロリーも少ないのでオススメである。

 キユーピーのあえるパスタソースはやや値が張るが、和風の具材で食べやすくハズレはない。

そういうことで、パスタを毎日昼に食べていた。

さすがにこれだけだと糖質に偏るので、これまたスーパーで買ったキャベツをスライサーで千切りにし、レタスとミニトマトをちりばめ、ドレッシング代わりの味付めかぶを入れたサラダと、納豆で見かけの栄養バランスを保とうとした。まあ、ろくに外出しなかったのだから栄養だの何だのあまり意味はない気がする。

とりあえず運動不足防止として、自室は高い階数にあるので、この2週間ほどはエレベーターを使わずに上りも下りも階段で行き来した。

実家で年末年始を過ごす時も、日持ちの良く美味なおせち料理という存在がダメ人間っぷりを加速させていたのだが、食材や味に関係なく、保存に適したものがあればそれは自分を尽く堕落させることもわかった。

 

今日もこたつでみかんを貪る。

夜を歩く

夜を歩く事が多くなった。

 

実家にいる時はさすがに無理だし、大学時代の下宿周辺は灯りが少なく歩くのは不向きだった。

 

それでも、たまに京都の三条・四条で夜通し飲み明かし、始発を待つ間、コンビニでも発売されているかのラーメンの香りに惹かれながら、ありふれた牛丼に誘われながら、薄暗い道やアーケードをほどほどの警戒心で歩く事が多かった。等間隔で並ぶカップルのいない、静かなせせらぎの鴨川をぼんやりと見つめるだけで、無心になれた。

 

就職して住み始めたここでは、少し古びた店々が夜になると一気に輝く。

 「行きつけのお店」がない、専ら一人で宅飲みする私には眩しい。

どこぞのスナックから聞こえる、酔いの混じった歌声を聴く度に、私の知らない楽しい世界があるのだとしみじみ感じる。

夜は寝るものなのに、みんないつしか寝る時間すら惜しくなっている。

 

何も考えることのなかった小学生の頃、夜の9時には寝ていた。

あの頃は、1日があと3時間で終わるとは思わなかった。