三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

筋肉痛再び

部活動、体育会が呼び起こすギスギスとした人間関係に辟易しながら、何故私はあの時部活動をやめなかったのかとふと思う。人間は嫌いだが運動が好きだから、という結論に落ち着く。それならば部活動をやめて、個人で活動してもよかったとも思うが、あの頃は、学校を中心とした社会でもがくことが精一杯だった。

 

あれから10年経った。無用な我慢をしていた時期のほうがまだメンタルが強かったのでは、と思えるほど心身ともに虚弱になっていく自分を鍛え直したく、トレーニングルームに足を運ぶ。

月額制のジムのほうが近くて機器も最新のものが揃って便利なイメージがあるが、毎日利用するほどの熱意は現在ないので、利用する度に利用料を払う公営のトレーニングルームを選んだ。

ランニングマシンの使い方を職員に教えてもらい、フォームを整えながら足を動かす。

初めは歩き、徐々に走りに。

だいぶ調子がわかってきた、もうちょっとキツくてもいけそうだ、と速度を上げる。画面に表示される走行距離と残り時間を気にして、明らかにペースアップし、ゴッゴッとマシンに響く自分の靴音。自分の中だけで繰り広げられる根性論は健全だ。

トレーニングが終わり、「やっぱり好きだわ」と流れた汗をぬぐいながら思った。

爽快感に寄り添うあいつは、まだ大人しい。

巡るカフェイン

ずっとカフェイン飲料を飲み続けているが、もはや目立つのは利尿作用で、期待している効果である覚醒作用は見る影もない。

毎日のように摂取すると、それが当たり前になって違和感なく血に溶け込んでいるように思える。多分、他の人にとってのアルコールやニコチンと同様で、血となって全身を駆け巡っている。

効果を感じなくなってしまっても、香りや味を嗜むとかいう尤もらしい理由をつけては、また飲むのだろう。

朝食迷走曲

朝食に何を食べればいいか迷う。

 

ご飯はおかずを作るのが面倒だし、食パンは飽きるし、菓子パンは毎日食べるには値段が張る。

試行錯誤を繰り返してたどり着いたのは栄養機能食品と呼ばれるクッキーやビスケットだった。保存がきくのでまとめ買いやAmazon定期便を利用して怠惰を貪った。一袋分では満腹にはならないので、クリームチーズやジャムをのせて食した事もあった。それも最近飽きてしまった。

日常生活の密かな問題として朝食の迷走が存在するが、コスパか、栄養か、満腹感か、準備までの手早さか、どれを取るかでメニューは変わる。ソイレントグリーンとか完全無欠コーヒーとか黒船は多いけど、おそらく輪廻の如くまたご飯に戻る。

ぼっちバー

モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか救われてなきゃあダメなんだ

独りで静かで豊かで……

 

とある公立図書館に実習に行っていた頃、最寄駅で『孤独のグルメ』の文庫版を買って読んで、印象に残った台詞だ。この台詞に井之頭五郎の閑寂さが凝縮されている。直後にかの有名なアームロックの場面があるので、なおさら印象に残りやすい。

 

私はよく独りで食べる。友達が少ないのも理由の一つだが、独りで食べるのが好きだし、食べながら誰かと喋るのは落ち着かないからだ。おおかたのチェーンの飲食店は独りで入って食べた。マクドナルドにすら独りで入れない人もいるそうだが、何か気になるメニューが登場する度に人を誘って入っているのだろうか。それはそれで面倒な気がする。

しかし、私にはどうしても独りで入れない店があった。

個人経営のバーである。

どうもガヤガヤとして入りにくい印象があるし、宅飲みのほうがコストパフォーマンスが良いとも思っている。某ブリティッシュバーのチェーン店には入ったことがあるが、たまには別の趣向のバーに入りたい。

 

この度、意を決して、ぼっちバーをキメることにした。

幸い、自宅の近くにはバーが多い。時間をかけてうろうろと歩いて、ここだ、と思ったバーに入ることにした。しかし、なかなか入るバーが見つからない。

人が混んでいる店、よく聞くが食べたことのないメニューを提供している店、店主と思しき人物が独りで佇んでいる店などなど、入れない理由は様々だ。

 

迷いに迷って入った店は、ジャーマンバーだった。

「いらっしゃいませ。何名様ですか」

慣れない店の雰囲気にそわそわしつつ、いつも通り人差し指をピンと立て、カウンターに案内される。

ズラリとぶら下がったワイングラスがキラキラと宝石のように輝き、名だたるビールの数々が堂々と並んでいた。

 

注文したのは、サングリアとジャーマンポテト。

サングリアは、いつも近所のスーパーで買っている瓶入りのサングリアよりもアルコール度数が高いのが明らかで、安い酒に慣れた体では酔いの回りが早かった。普段オーソドックスな円柱のグラスで酒を嗜んでいる為、丸いワイングラスを持つ自分の手が覚束なかった。

ジャーマンポテトは、カリカリに揚げたポテトとベーコンの食感が小気味好く、散りばめられた粗挽きの黒胡椒がよく利いている。

無心に飲み、食べ、酔って、帰宅。

強い酒と旨い肴。ジュースのような酒を、ありあわせのもので作ったいまいちなつまみを肴にして渋々飲む宅飲みとは全く異なる世界だった。 

独りで食べる事そのものは自分では当たり前だが、入る店が違えばここまで緊張した。

また、あのバーに行きたい。

 

 

 

 

 

報酬の巡礼

トロフィー、ログインボーナス、称号……

 

コンシューマーゲームでもソーシャルゲームでも、プレイヤーが条件を満たした場合に報酬がシステムから贈られる。これらは、例えば「バハラタの洞窟でカンダタを倒せば、グプタからくろこしょうがもらえる」といったストーリー上自然に発生する報酬ではなく、予め条件と報酬をプレイヤーに開示して「ゲームを継続すれば、こういうプレイをすれば、いいことがありますよ」とプレイを促すものが多い。

 

これが機械臭さを感じる。たまに登場人物にメタ発言をさせるし……。しかし、報酬を得ればプレイが楽になるのは間違いないので、気がつけば開発者の思惑通りにゲームに没頭する。

 

カチッとスイッチをONにして、少し経ったらOFFにするような、カートリッジ型のゲームでやればすぐセーブデータが消えるような操作を毎日続ければ報酬が得られるようになるなんて、20年前は思わなかった。

隣の芝生はblue

家具、家電、バッグ、タブレットのアクセサリー……何年も使うものを選びに選んで買っても、後で他の商品を見ると「ああ、こっちのほうがよかったかな」と後悔してしまう。

隣の芝生は青い、とはよく言ったもので、自分の検索能力の低さを恨んでしまう。ボールペンのように安価なものであれば、これは自宅用、それは持ち歩き用、と比較しながら使うこともできる。そのうち自分の好みに合ったものをリピートするようになるので、じっくりと判断するには丁度良い。

高価なものなら気に入らなければ売ればいいが、あまりものを売ったり捨てたりすることができない性分なので、壊れる、破れる、命尽きるまで使う。その頃にはまた新しい商品が誕生しているので、今度は失敗しないと己に誓い、選ぶ。

まあ、また失敗してもいいか、という余裕が欲しい。

休日のビジネス街

陰鬱な表情の背広達が影を潜め、遊び疲れたキャリーバッグ達も少ないコンクリートジャングルはとても静かだ。

飲食店も、スーツ達に合わせて土日・祝日に休んだり、いつでも大歓迎とニコニコしていたり様々だ。休日のビジネス街は、いつもの忙しさがなく、ゆっくりと呼吸をしているような趣があり、気に入っている。

仕事に燃える人間達にも帰る場所があり、それはこのビジネス街ではないと言いたげに、不安定な音程のオルゴールが鳴り響く。

オルゴールのメンテナンスをする人も、帰る場所に帰っている。