三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

就活アウトロー採用の説明会に行ってきた

この採用プログラムは、大学生や若者の持つ就職活動への疑問や違和感をもとに、2012年度から試験的にスタートしました。

決して働きたくないわけじゃないし、頑張る気がないわけでもない。でも、今の「就活」という文化や制度の中ではどうもうまく伝わらない。次第に気持ち悪さやバカらしさに嫌気をさし、自ら「就活」を降りてしまう。
これは、そんな【就活アウトロー】のためのマイナーな就職サービスです。

 

(就活アウトロー採用2014HPより)


この記事では、今回の説明会で共有した話題の一部や、就活に対する自分の考えを書く事にした。

 

就活アウトローとは何か
アウトロー採用」でTwitter検索してみると、罪を犯した人物が集まる採用なのか、という文字通りのアウトローを想像している人もいた。実際に会場に集まったのは本来の意味のアウトローというよりも、就活の枠組みやテンプレート(=law)に自分を当てはめることができなかった(=out)人達のように思える。そもそも、本物のアウトローならこのような説明会に自ら参加申し込みをしないはずだ。
この会場で集まった人間は、とある就活アウトローによって『「枠から出たい」という枠』と表現された。
私の周囲には就活のシステムに疑問を抱きながらも結局は内定した人間が多かった。彼らは「何だかおかしい、けどやるべきことをこなしていくしかない」と順応できたのだ。一方私達就活アウトローは現状に納得できず、就活という枠から出ようとはするものの、それ以外の活路がなかなか見出せずジタバタともがいている。

ファシリテーターの若新氏はこの説明会に参加した人達に対して「君達はずる賢いところがあると思う」と指摘した。確かに、このように服装髪型自由、ESも自己PRも不要な採用は一般的な就活の選考フローとは異なる。最強装備で始めるドラゴンクエストふっかつのじゅもんのような卑怯さがある。私は就活アウトロー採用の存在を知った時、同じく就活に悩む知人に知らせようかと考えたのだが、「こういうマイナーな採用は参加人数も限られてくるだろう。拡散して参加者が増えて自分が参加できなくなったら困る」とあえて何も伝えなかった。ずる賢さのステータスがアップした瞬間である。

 

これは就職説明会なのか
今回の説明会ではグループワークがあったが、参加者の名札も自己紹介タイムもなし。質疑応答の際「○○大学××学部の△△です。本日は貴重なお話をありがとうございました。質問ですが……」といった堅苦しいイントロダクションも必要ない。服装も髪型も自由、それぞれの時間を過ごした就活アウトローがフランクな空気を作る。
積極的に発言する人間が有利になるわけではなく、気に入った人間を主催側が引き抜くということもない。口下手な人間でも今後の活動においてコミュニケーションの方法を選べる可能性を示唆された。どうやらチャットを通じてでしかコミュニケーションをとらない人間も内定したらしい。

 

就活に対する違和感
私は志望動機を考えるのが億劫でしょうがない。「経営理念に共感したため」なんてとってつけたような志望動機を自分のスパイスでアレンジして面接に挑んだこともあるが、あまりの抽象性と薄っぺらさに自己嫌悪すら感じた。ビジネスライクに、あるいは率直に「給料が良いから」「募集があったから」「借金の返済をしたいから」という志望動機のほうが1社毎に凝った「ストーリー」を考えなくても良いし手間も省けるのだが、担当者の方の「だったら弊社じゃなくてもええやん」という返答が予想できないわけではない。仕方なく「ストーリー」を考えるのだが、馬鹿馬鹿しくてしょうがなかった。

自己PRも、ただ考えることは苦痛ではないにしても企業にウケのよさそうな自己PRを考えるのは苦手だ。
私は就活本のお手本に書いてあるようなリーダー経験に乏しい。大きなプロジェクトの中で展開される小さなプロジェクトのリーダーを務めたことはあるが、そもそも私はリーダーをやりたくない人間だ。責任を負いたくないからではない。全く信頼されないからではない。不器用で個人主義的な思考がリーダーに適していないと自覚しているからだ。学級委員の類に推薦される事はあっても実際にはクラスでも部活でもサークルでも専らフォロワーに徹しており、ひねくれた視点からチクリとメスを入れる役割も多かった。
就活からドロップアウトする前に考えた「サークルでの創作活動において実現可能性を考慮しつつも斬新なモチーフを取り入れた。技術的には未熟だと批判されたが発想がユニークで面白い、自分も同じ事に悩まされているので共感できた、という感想があった」という独創性の自己PRはウケが悪かったようで、同じエピソードを「自分が創作活動においてリーダーを務めた。リーダーの経験が少なく不安であったがスケジュールをしっかり立て無理のない指導をした。周囲の支えもあって作品を完成できた」とリーダー視点に変えた自己PRのほうが選考を通過しやすかった。

集団面接で他人の志望動機や自己PRを聞いても、失礼ながら嘘っぽさと仰々しさを感じた。タカラジェンヌよろしく透き通った声でサークルやバイトで自分がいかに貢献したかが語られる。全て事実を話している人もいるだろうけど、どことなく背伸びをしているのが感じられる。
同じ就活生として共感できないわけではなかった。背伸びをしなければ、馬鹿学生から社会人になれないのだ。しかし、何だかおかしい。
就活を通過儀礼と表現する人もいる。ただ、就活鬱になって自殺した友人の友人や、大手企業に内定をもらったものの内定ブルーによって抑うつ状態になった先輩を知る人間としては、就活の結果がどうであれ時に人に命を脅かす危険のあるものが通過儀礼として美化されるのも甚だ気味が悪いものだと思う。

 

本当に大丈夫なのだろうか
就活アウトロー採用を告知するtweetを見かけ、リンクを踏んだ時「面白そうだけど何だか怪しい、眉唾ものかも」と少なからず思った。
まだ不安が拭いきれていないが、社会から置いてきぼりにされたマイノリティーに着目した就活サービスというのも珍しい。実際に利用するかどうかはともかくとして、「就活に違和感を抱いているのは自分だけではない」ということを話し合える場があるのは、個人的にはありがたいと思うのだ。

 

※2015年6月11日追記

この記事を書いて1年経った今なお、「アウトロー採用」で検索してここに辿り着く事もあるようだ。

アウトロー採用の説明会に参加した結果、私がどのような道を歩んでいったのかは以降の記事を読んでいただきたい。

 

また、言うまでもないが、私は一参加者に過ぎない。アウトロー採用にいかなる期待を抱いたか、そこでどのように立ち回ったか等は、他の参加者のブログやアウトロー採用の非公式ブログも参考にしていただきたい。

 

いずれにせよ、アウトロー採用に興味を持った方は、採用される側、採用する側、あるいはそれ以外の立場で接触を試みることをおすすめする。