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三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

不安定という安定

去年の1月にこのブログとTwitterを始めた。

それと同時に病み上がりからの所謂「社会復帰」をしたのだが、私のような若造よりも遥かに人生経験と勤務年数が多いはずの人達の、あまりにも非建設的な人事マネジメントに大いに失望した(このことはうんざりするほど書いたしもう二度と書かないつもりだったが、今でも思い出しては舌打ちするほど不快な出来事だったので吐き出したい)。

 

仕事の契約期間が終わり、しばらく採用試験等の勉強に専念しようとしていたところ、かの採用の説明会でプログラムの参加を決意し、交通費を稼ぐ為に短期バイトを始めた。

おそらく人生で一番がむしゃらになった時期だった。(当時からすれば)得体の知れない就活サービスに参加し、田舎で食べていけるほどの求人はいくらでもあったのにも関わらず、あえて関東に足繁く通った。

 

そしてとある会社の社長からありがたいお言葉をいただき、現在は新天地で働いている。

 

去年の今頃、やたら生きる意味を探していたが、結局そんなものに意味を追求する事自体に無理があると自分の中で結論が出た。少しだけほっとした。

そして、今、確かに生きている。起床し、電車に乗り、働いて、帰宅して、寝る。

 

しかし、これが安定だとは思わない。村上春樹の『ノルウェイの森』よろしく、死が生の一部として存在しているように、不安定が安定の一部として存在しているように思える。

断薬を始めてから、副作用と思われる吐き気や希死念慮から解放された。しかしどこかに不安定な要素を持っていることに、安定を覚える自分がいる。

 

状況に溺れず、当たり前のことがいつまでも続く錯覚を忘れる。強くなれなくてもいいから、ひとまず他人の目を気にせずに、たくましく生きるしかないのだ。