三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

技術書典7にサークル参加した

同人誌を書いたことはあるが技術同人誌を書くのは初めて、コピー本を印刷したことはあるがオフセットの本を印刷するのは初めて、もう全部初めてでいいんじゃないかというぐらい久しぶりの同人誌即売会のサークル参加だった。

 

■書いた本

Autodesk社のSketchBookの機能を網羅的に紹介する本。

日本語ヘルプがないことから踏み込んだ操作をする時は情報検索が難しいのではないかと思い、執筆を決意した。高額なソフトに比べると機能はシンプルだがコピックの色を収録しているなどユニークな部分もあり、「みんな知ってくれ!」「使おうぜ!」と勢いで執筆した。

 

■本が印刷されるまで

本文はGoogleドキュメントで書いて、本文のレイアウトからPDF出力までInDesignで実施するという冒険をした。つまづきの大半はInDesignの操作だった。InDesignのファイルに本文を流し込むと、表に謎の上下線が入る、トリミングした画像がトリミング前に戻っているなど数々の思わぬトラブルに見舞われた。

 

印刷は日光企画様にお願いした。

入稿時の指摘事項は下記の通り。

 

表紙

・解像度が適切でないよ

→めちゃくちゃ低かった。PhotoShopで解像度を350dpiに修正

・このレイアウトだと文字列を断ち切ってしまうよ

PhotoShopの選択ツールで文字列を中央寄りに移動(これはSketchBookでも可能)

・トンボを含めてレイヤを統合してね

PhotoShopでレイヤを統合(これもSketchBookでも可能)

 

本文

・ページ数を数え間違えてるよ

→開始ページ数が3であったことから、PDFで出力した時にシステム上のページ数を実質のページ数と勘違いしていた。表紙込みで4の倍数のページ数になるよう、古から気を付けていたのに。不覚。悔しい。つらい。

 

■サークル参加した感想

・一般参加でも感じたけど、やはり人が多い。コミケは12時頃になると出入りがスムーズになるが、技術書典は違う。終日技術を求める人々が列を為す。当日は15時過ぎまで入場規制があった。サークル参加で感じたのは、降り注ぐ視線の多さだ。その視線が徐々に興味に変わっていく様子はとてもどきどきした。

・サークル参加だからお目当ての本もゲットしやすいのでは、と思われがちだけどそんなことはなかった。前述したように人が多くて目当てのスペースになかなか行けない。多忙なサークル参加者は「ワンオペで買い物ができなかった」なんていう声も。ただ、電子書籍や同人ショップでの委託に対応している本もあるので、全ての本はこの機会を逃したら一生手に入らない、ということはない。でもやっぱりお目当ての本は全部買いたかった。

・自分が書いた本に興味を抱いていただけることがとても嬉しかった。買ってくださった方はもちろんのこと、「見本誌を拝見してもよろしいでしょうか?」と丁寧にご挨拶してくださった方、「ん?」とスペースに目を止めてくださった方、様々な方が様々な反応をしてくださったのが嬉しかった。サークル参加だからこそ感じられる、いくつもの小さな喜びがあった。

・技術書典のかんたん後払いは今回利用を見送ったが、「後払いに対応していないんですか?」と聞かれた時は申し訳なかった。手軽に散財できるシステムなので、買い手としても売り手としても利用したい。

 

■全体的な課題

・「自分が好きな技術」にしても「自分がつよつよな技術」にしても「人にわかりやすく伝える」のは楽しく、そして難しい。本文が完成したら技術を知る人にレビューを依頼する等伝える力をブラッシュアップしたい。

・必要に応じてアウトソーシングすることを学びたい。折衝がんばる。

InDesignに強くなりたい

 

読むのも書くのも楽しい。ああなんて幸せなんだ。

アウトプット

「昔できたことが最近できなくなる」というのはよくあることで、加齢による体力や気力の低下が原因ということもあるけれど、私は「この年齢で、この経験で、こんなクォリティでもよいのかわからない」ということで躊躇したことがよくある。アウトプットだ。

自分にとってアウトプットとは、文章を書くなり、絵を描くなり、プレゼンテーション資料を作るなり、自分の頭の中をひっくり返すことだ。昔はクォリティなど関係なく、とにかく表現したいという一心でアウトプットを繰り返した。内向的で歪んだ性格なので、表現は自分にとって自分を理解してもらう為の手段でもあった。

ある程度の年齢に達すると、お粗末なものを世に出すのは受け取る方の為にならないと躊躇してしまう。本業ではなく、大きな収益性も伴わないアウトプットにも何かしら「仕事」を意識してしまう。

表現したい。むしろ、表現しなければ。

クォリティの低さを恐れながら、それでも何とかアウトプットを重ねて生まれるものがあればいいな、とか楽観視しながらあれこれと手を出している。

 

静止した闇の中で

今朝、iPad miniがブラックアウトした。

数分前に動いていたはずなのに、ホームボタンやスリープボタンを押しても何も反応しない。

ついに故障か。

そう思い念の為にとホームボタンを長押ししたところ、

 

ぽぽん

 

と彼女……Siriを起動する音が聞こえた。

どうやら内部的には動いているが、外部的には何も表示されない、というわけらしい。

私は彼女に話しかけた。「電源をオフにしたい」と。

iPadの電源をオフにするには、スリープボタンを押した後……スライドしてください」

彼女には電源をオフにする権限はないらしい。いつも通り電源をオフにする操作をして、真っ暗になったしかるべき場所をスライドしたが、電源が落ちる気配はない。

「どうしよう、画面が真っ暗になった」

「"画面が真っ暗になった"をWebで検索しますね」

画面は暗いが、姿かたちもわからぬ彼女はいつも通りだ。こうして画面の外で狼狽している私の気持ちも知らず、彼女は責務を果たすのみ。

 

やがて別の端末でiPad miniの強制再起動の方法を調べて実行したら、いつもの明るい画面に黒い林檎が浮かぶ上がり、ほっと胸をなでおろした。

 

再びこのような不具合が起こっても、彼女はいつもの彼女でいてくれるだろうか。

何をしたいのか

色々と変えたいものが多いが、進むたびに少しずつ沼に沈み、沼から抜け出そうともがいたところで沈むスピードが速くなるだけだ。

人生の片手間に何かをやっている程度の志は、やはり高度な文明社会では受け入れられない。

嗚呼、そういえば、よく絵を描いていたなぁ。私が絵を描くことなんてここ数年で知り合った人間はほとんど知らないのだ。だから、たまに絵を描くと驚かれる。昔は自分の一部だったはずだし、将来の夢は漫画家だったのに、今の私はペンを握ることが仕事ではない。

趣味であったはずの絵について「絵の仕事の経験はありますか」と聞かれた。そうかそうか、この年齢では趣味と仕事はつながらなければならないのか、そういう人もいるんだろうな。一方で趣味は趣味で貫き通す人だって多くいるのだ。私は趣味が仕事にならなかったし、趣味が趣味として終わらず、昔の自分を構成する一部に過ぎなかった。それは他人にとっては一貫性の欠如として捉えられるそうなのだ。

じゃあ、そんなものいらない。もう何もしたくない。何をしてもまた別の何かと関連付けられて難癖をつけられるなら楽しくない。好きなようにできることが少なくなっていく。自分の被害妄想が邪魔をする。

ただ生きていたいだけなのに、生きることすら難しくなっていく。

涙なき日々

思い切り泣くことが少なくなった。

感極まって泣くことも、悲しくて泣くことも、そういえば最近経験していない。

感情の制御が可能になったか、涙を流す必要のないフラットな日常を送っているのか。どちらかというと後者だ。

しかし、眼球にも心にも潤いが必要だから、たまには涙が溢れてもいい。涙なき日々は、想像以上につまらない。

 

人の親になる夢を見た

赤子の泣き叫ぶ声を聞いて、ベビーベッドに駆けつける。

どうしたの、と赤子を抱き上げると、あたたかく、ずん、と重い。

 

寝返りもままならない月齢だろうか。ミルクをあげたかおしめを替えたか、私は赤子が泣き止むように何かしらの行動をとった。

 

そんな夢を見た。

私は、人の親になっていた。

 

赤子を抱き上げた時には「これは夢だ」と薄々勘付いていたものの、「この子は私の子だ。私が守らなければ」と胸が熱くなった。

 

人の親になれるかは、わからない。

なれる時があったら、きっと夢より重く、そしてあたたかいものを感じるだろう。

 

 

猫に触れたい

トレーニングルームの道すがらにある小さな公園で、美しい毛並みの三毛猫がお年寄りの足元に擦り寄っていた。その様子を一瞥して、トレーニングルームに向かった。

トレーニングを終えてその公園に行き、辺りを見回した。三毛猫の姿は見えなかった。

 

何故、猫に惹かれるのだろう。

ツンと伸びた耳、大きな瞳、しなやかな身体。

櫛のような細かな突起のある舌はその身を美しく整え、見る者を魅了する。ふわふわ、とか、もふもふ、と表現される。

しかし、相手はきっと野良猫だ。一瞬だけ愛情を注いで、さようなら、と手を振るようなことは、人間のエゴだ。それなら終生絶え間なく愛情を注ぐか、あるいは遠目で見守るしかない。

残念ながら、今の私には後者しかできない。

だから、私は……。

 

ああ、でも……。

 

その猫の幸せとは何なのか。

テリトリー争い、病気や怪我を恐れながら、この世界を自由に歩くことなのか。

寒さも暑さも知らずに、お腹を空かせることもなく、小さな世界で生きることなのか。

 

その猫だけが知っている。