夢を見る。
中学生や高校生に戻り遅刻しそうになる夢、とんでもないことをしでかす夢、そして、碁盤目の京都や要塞の如き大阪で買い物をする夢。
今や買い物に行くのに不便は無い所に住んでいるにも関わらず、夢に見るのは遥か西。ジークムント・フロイト的な抑圧された無意識は、大学時代に過ごした関西で埋め尽くされているのだろうか。
集団主義を是とする義務教育から高校、大学と、進学を重ねる度に自分の心が軽くなった。その中でも大学は自分には非常に心地よかった。人間関係に縛られず、親のすねをかじり、責任もさほど問われない。モラトリアムと言われるだけのことはある。
でも、自分は今は大学生ではない。
あの頃と同じ感覚で生きているわけではなく、自分で生活を彩る楽しさを感じ、それに伴う責任を抱えて生きている。
それでもなお、夢の中で関西が花咲く。
大学を卒業して故郷に帰っても、関東で仕事をしていても、心だけを関西に置いてけぼりにしているような感覚だ。
精神の故郷。
近いうちに、また帰られるだろうか。