その街の名が歴史の教科書に載るのは1858年、日米修好通商条約の時である。
「横浜みなとみらい21」と呼ばれる区画の一部には空き地が広がっており、都会であることを忘れさせるほど見通しも良い。今ほどビルやマンションが建っていなかった時代には、海に打ち上げられた花火が見えたそうだ。
「都会の喧騒」と言うけどここは静かで、何も考えずにぶらぶらと歩くのには丁度良い。何もないという安心感で満たされる。そして、都市は自然発生するものではなく人の手で作られるものだと実感できる。たかが160年ほどの歴史しかないこの街が証明してくれる。
私の地元の地方都市で大型店舗の閉店が相次いだ時、建物は取り壊され、間もなく駐車場になった。衰退を象徴する、都市の穴ぼこができた。しかし、空き地は衰退ではなく発展の可能性を秘めているとでも言いたいように、横浜はいつも変わらぬ空き地を準備して待っている。
空き地を守る囲いの中。枯れ草がすすり泣きをしている傍らでゴミが群れをなし、たんぽぽが根を張っている。
ペリーやハリスが来なかったら、空き地なんてなかったのかもしれない。