三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

We are 井の中の蛙

地元のとある大病院に行った時、職場の先輩がこう言った。

 

「ここの地域の人って、この病院で産まれて、この病院で死ぬんだね」

 

そんなものなのか、と産声と聞こえぬ悲鳴の交わる空間で思った。

 

確かに、自分の知る限りではこの土地から殆ど離れずに現在まで生きている人なんてごまんといるのだ。人生のスタートとゴールがあの大病院でも何の不思議もない。

しかし、その方言訛りの強い先輩の発言により、産まれてから死ぬまでを同じ土地で過ごす事の安心感と危機感との両方を抱いてしまった。

 

自分の場合、生まれた土地、高校まで過ごした土地、大学時代の土地、そして現在の土地といくつか大きく異なる土地を過ごしてきた。全て日本国内なのであるが、各々の地域だけの特色や慣習(そして時として意地の悪い暗黙の了解)に驚く事もあり、疑問に思う事もあった。

 

関東に移って思ったのは、ここにいる人もまた産まれてから死ぬまで同じ土地で過ごす可能性が高いという事である。それほど文化や労働に満ち満ちている事の証拠なのだろう。

率直に言うと、関東人は田舎出身の私を馬鹿にしたような親切心で接してくることがたまにある。「ほらJRの改札はあそこだ、乗り換えはこうだ」「エスカレーターは左に並べ」と。私は旅行をする際予め調べておく性格であるし、人に聞く前にググるので聞いてもいないのに「お前田舎者だから知らないだろう。教えてやるよ」という態度は気に入らない。

 

それと同時に、田舎の事を何も知らない都会人を私は馬鹿にしている。

都会人の田舎のイメージは時に極端であり「学校にバキュームカーが来る」「コンビニに行くまで2時間かかる」なんて言われる事は多々ある。まぁいくつかは確かに自分の田舎に当てはまるのだが、「田舎には都会にあるような便利なものはない」と言わんばかりの思い込みをする都会人には冷笑せざるを得ない。

 

そうだった。皆井の中の蛙なのだ。ゲロゲロと、自分の周囲のことが自分の全てであり、世界の全てだと勝手に誇っているのだ。

 

私の世界も、まだ狭い。

 

不安定という安定

去年の1月にこのブログとTwitterを始めた。

それと同時に病み上がりからの所謂「社会復帰」をしたのだが、私のような若造よりも遥かに人生経験と勤務年数が多いはずの人達の、あまりにも非建設的な人事マネジメントに大いに失望した(このことはうんざりするほど書いたしもう二度と書かないつもりだったが、今でも思い出しては舌打ちするほど不快な出来事だったので吐き出したい)。

 

仕事の契約期間が終わり、しばらく採用試験等の勉強に専念しようとしていたところ、かの採用の説明会でプログラムの参加を決意し、交通費を稼ぐ為に短期バイトを始めた。

おそらく人生で一番がむしゃらになった時期だった。(当時からすれば)得体の知れない就活サービスに参加し、田舎で食べていけるほどの求人はいくらでもあったのにも関わらず、あえて関東に足繁く通った。

 

そしてとある会社の社長からありがたいお言葉をいただき、現在は新天地で働いている。

 

去年の今頃、やたら生きる意味を探していたが、結局そんなものに意味を追求する事自体に無理があると自分の中で結論が出た。少しだけほっとした。

そして、今、確かに生きている。起床し、電車に乗り、働いて、帰宅して、寝る。

 

しかし、これが安定だとは思わない。村上春樹の『ノルウェイの森』よろしく、死が生の一部として存在しているように、不安定が安定の一部として存在しているように思える。

断薬を始めてから、副作用と思われる吐き気や希死念慮から解放された。しかしどこかに不安定な要素を持っていることに、安定を覚える自分がいる。

 

状況に溺れず、当たり前のことがいつまでも続く錯覚を忘れる。強くなれなくてもいいから、ひとまず他人の目を気にせずに、たくましく生きるしかないのだ。

遠出を繰り返すと荷物が徐々に減る

旅行で役に立つものを書いておく。

 

・モバイルバッテリー
電源確保できる場所やカフェを探すのは面白い。しかし、LINEのようなアプリで頻繁に携帯端末を見て電池の消耗も激しいので、モバイルバッテリーは個人的には必須アイテムなのである。

 

・耳栓
夜行バス、新幹線、ネットカフェで使用。特にネットカフェは昼夜問わずBGMが流れていたり遊具の音が聞こえるので重宝する。

 

アイマス
強い光は睡眠にも影響するのでアイマスクでシャットアウト。こちらも夜行バス、新幹線、ネットカフェで使用。

 

・バスタオル
ゲストハウスやネットカフェではシャワー利用にタオルが含まれていないことも多い。大体100〜200円で借りられるが、小さめのバスタオルでも良いので持っていくとちょこっとした出費を抑える事ができる。

 

・ボディタオル
お風呂で体をゴシゴシ拭くアレ。これの有る無しで肌のコンディションが変わると言うのはちょっと言い過ぎかもしれないが、1日の汗や汚れを落とすのにはもってこい。

 

・ウェットティッシュ
どうしてもシャワーを浴びる事が出来ない場合は一時しのぎではあるけどウェットティッシュを使う。化粧落としにも使える。

 

・折りたたみハンガー
ありふれた三角形のハンガーだとキャリーケースに入らない事もあるので、ちっちゃくまとまる折りたたみハンガーでスーツの形を崩さないようにする。しかし最近は全くスーツを着ていない。就職活動をしているはずなのに……。

 

かっぺの戯れ言

東京の百貨店でメダカが売られているのが田舎の人間には滑稽であったのだが、こちらの道の駅でもメダカやザリガニが売られており、誰の所有かもわからない小川で生き物を採取するのにも色々問題があるのか、それとも自らが生き物を採取することそのものに抵抗感があるのか、まあ一昔前とは事情が異なるのだろう。

 

田舎は良い。原付でいくらか走れば美しい風景に巡り会える。しかし、私には田舎の方が息苦しい。

最近、色んな境遇の人間と関わるようになって気がついたのは、私は本質的には人間が嫌いではあるものの、ウマが合えば何とかやっていけるかもしれない、助け合って生きていけるかもしれないという無意識の願望を抱いていたことだ。

田舎だとウマの合う人間に会うのも一苦労だし、運が悪ければ偏った古い価値観の人間達と長く関係を保つ羽目になるから少々面倒だ。コミュニティの出入りが自在に出来、村八分に合っても雑踏の中に紛れ込んでいける(はずの)都会の方があっている。思い込みに過ぎないかもしれない。田舎で上手くやってこれなかった人間が都会で何ができるのかは未知数である。

 

また、東京に向かう。

最近読んだ本 2014年7月

 最近読んだ本を羅列してみる。

 

「いいね!」が社会を破壊する (新潮新書)

「いいね!」が社会を破壊する (新潮新書)

 

 率直に書くと「いいね!」に触れているのはごく一部の箇所なので、ソーシャルネットワークの機能についての書籍だと思って読むと肩透かしを食らうかもしれない。目次や本文を読めば、この書籍は社会科学に分類されると素人ながらに思うのだが、借りた図書館では技術・工学に分類されていた。

 

 

ドット絵講座

ドット絵講座

 

可愛らしくデフォルメされたドット絵を描くのに最適だと思う。

10年前に発行されたので情報は古いものもあるけど、ドット絵そのものは現在でも十分通用する。

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

 図書館実習時代に出会った本。頭の固い人に読んでもらいたい。

著者の考え方にはかなり共感できるけど、ニートじゃなくてしっかり働きたいなぁ、と思った。

 

「走る」ための食べ方: マラソン快走のための実践栄養学

「走る」ための食べ方: マラソン快走のための実践栄養学

 

 マラソンランナーの食事の摂り方について書かれた書籍。TPOに応じた献立が提案されており、ランナーでなくとも参考になる部分は多い。

 

「ネタがない」というネタ

前回の記事が現時点で19ものfacebookいいね!をもらって驚愕している。

 

「いいね!」とは言うものの、ブックマーク目的で押している人もいれば、批判の意で押している人もいらっしゃるだろう。もしかしたら「いいね!」の通知から前回の記事を読んだ人が、私の目の届かない公開範囲で「こいつはクズ」「ちゃんと就活しろ」など批判しているかもしれない。胸が熱くなる。

マゾではない。漫画を描いて他人に読んでもらい、率直な感想をもらえず社交辞令しか受け取れなかった過去のある自分にとって、否定的な意見は貴重なものであるし、自分を成長させる為の糧である。

 

で。

私は在住地や職種を隠し、「一負け組」「一労働者」としてかなり好き勝手にブログやTwitterで発言してきたが、最近になって匿名性が保たれなくなったのである程度発言を自粛することにした。

匿名であっても発言には気を遣っていており、「身内の批判や皮肉は言うけど誹謗中傷はしない」というのがマイルールだった。しかし、匿名性が保たれなくなった今となっては、私の素性をご存知の方には「良い年したネット弁慶」にしか見えないだろうし、毎日のように顔を合わせる相手(過去の例として上司)の目が届かないところで批判するのも卑怯で格好が悪いだろう。

 

わざわざこんなことをブログに書くのもおかしいのは自覚しているが、こうして意識表明と自己開示をすることによって自分の中に変化をもたらしたいのだ。

 

それでもたまに皮肉は言うかもしれない。

 

就活アウトロー採用の説明会に行ってきた

この採用プログラムは、大学生や若者の持つ就職活動への疑問や違和感をもとに、2012年度から試験的にスタートしました。

決して働きたくないわけじゃないし、頑張る気がないわけでもない。でも、今の「就活」という文化や制度の中ではどうもうまく伝わらない。次第に気持ち悪さやバカらしさに嫌気をさし、自ら「就活」を降りてしまう。
これは、そんな【就活アウトロー】のためのマイナーな就職サービスです。

 

(就活アウトロー採用2014HPより)


この記事では、今回の説明会で共有した話題の一部や、就活に対する自分の考えを書く事にした。

 

就活アウトローとは何か
アウトロー採用」でTwitter検索してみると、罪を犯した人物が集まる採用なのか、という文字通りのアウトローを想像している人もいた。実際に会場に集まったのは本来の意味のアウトローというよりも、就活の枠組みやテンプレート(=law)に自分を当てはめることができなかった(=out)人達のように思える。そもそも、本物のアウトローならこのような説明会に自ら参加申し込みをしないはずだ。
この会場で集まった人間は、とある就活アウトローによって『「枠から出たい」という枠』と表現された。
私の周囲には就活のシステムに疑問を抱きながらも結局は内定した人間が多かった。彼らは「何だかおかしい、けどやるべきことをこなしていくしかない」と順応できたのだ。一方私達就活アウトローは現状に納得できず、就活という枠から出ようとはするものの、それ以外の活路がなかなか見出せずジタバタともがいている。

ファシリテーターの若新氏はこの説明会に参加した人達に対して「君達はずる賢いところがあると思う」と指摘した。確かに、このように服装髪型自由、ESも自己PRも不要な採用は一般的な就活の選考フローとは異なる。最強装備で始めるドラゴンクエストふっかつのじゅもんのような卑怯さがある。私は就活アウトロー採用の存在を知った時、同じく就活に悩む知人に知らせようかと考えたのだが、「こういうマイナーな採用は参加人数も限られてくるだろう。拡散して参加者が増えて自分が参加できなくなったら困る」とあえて何も伝えなかった。ずる賢さのステータスがアップした瞬間である。

 

これは就職説明会なのか
今回の説明会ではグループワークがあったが、参加者の名札も自己紹介タイムもなし。質疑応答の際「○○大学××学部の△△です。本日は貴重なお話をありがとうございました。質問ですが……」といった堅苦しいイントロダクションも必要ない。服装も髪型も自由、それぞれの時間を過ごした就活アウトローがフランクな空気を作る。
積極的に発言する人間が有利になるわけではなく、気に入った人間を主催側が引き抜くということもない。口下手な人間でも今後の活動においてコミュニケーションの方法を選べる可能性を示唆された。どうやらチャットを通じてでしかコミュニケーションをとらない人間も内定したらしい。

 

就活に対する違和感
私は志望動機を考えるのが億劫でしょうがない。「経営理念に共感したため」なんてとってつけたような志望動機を自分のスパイスでアレンジして面接に挑んだこともあるが、あまりの抽象性と薄っぺらさに自己嫌悪すら感じた。ビジネスライクに、あるいは率直に「給料が良いから」「募集があったから」「借金の返済をしたいから」という志望動機のほうが1社毎に凝った「ストーリー」を考えなくても良いし手間も省けるのだが、担当者の方の「だったら弊社じゃなくてもええやん」という返答が予想できないわけではない。仕方なく「ストーリー」を考えるのだが、馬鹿馬鹿しくてしょうがなかった。

自己PRも、ただ考えることは苦痛ではないにしても企業にウケのよさそうな自己PRを考えるのは苦手だ。
私は就活本のお手本に書いてあるようなリーダー経験に乏しい。大きなプロジェクトの中で展開される小さなプロジェクトのリーダーを務めたことはあるが、そもそも私はリーダーをやりたくない人間だ。責任を負いたくないからではない。全く信頼されないからではない。不器用で個人主義的な思考がリーダーに適していないと自覚しているからだ。学級委員の類に推薦される事はあっても実際にはクラスでも部活でもサークルでも専らフォロワーに徹しており、ひねくれた視点からチクリとメスを入れる役割も多かった。
就活からドロップアウトする前に考えた「サークルでの創作活動において実現可能性を考慮しつつも斬新なモチーフを取り入れた。技術的には未熟だと批判されたが発想がユニークで面白い、自分も同じ事に悩まされているので共感できた、という感想があった」という独創性の自己PRはウケが悪かったようで、同じエピソードを「自分が創作活動においてリーダーを務めた。リーダーの経験が少なく不安であったがスケジュールをしっかり立て無理のない指導をした。周囲の支えもあって作品を完成できた」とリーダー視点に変えた自己PRのほうが選考を通過しやすかった。

集団面接で他人の志望動機や自己PRを聞いても、失礼ながら嘘っぽさと仰々しさを感じた。タカラジェンヌよろしく透き通った声でサークルやバイトで自分がいかに貢献したかが語られる。全て事実を話している人もいるだろうけど、どことなく背伸びをしているのが感じられる。
同じ就活生として共感できないわけではなかった。背伸びをしなければ、馬鹿学生から社会人になれないのだ。しかし、何だかおかしい。
就活を通過儀礼と表現する人もいる。ただ、就活鬱になって自殺した友人の友人や、大手企業に内定をもらったものの内定ブルーによって抑うつ状態になった先輩を知る人間としては、就活の結果がどうであれ時に人に命を脅かす危険のあるものが通過儀礼として美化されるのも甚だ気味が悪いものだと思う。

 

本当に大丈夫なのだろうか
就活アウトロー採用を告知するtweetを見かけ、リンクを踏んだ時「面白そうだけど何だか怪しい、眉唾ものかも」と少なからず思った。
まだ不安が拭いきれていないが、社会から置いてきぼりにされたマイノリティーに着目した就活サービスというのも珍しい。実際に利用するかどうかはともかくとして、「就活に違和感を抱いているのは自分だけではない」ということを話し合える場があるのは、個人的にはありがたいと思うのだ。

 

※2015年6月11日追記

この記事を書いて1年経った今なお、「アウトロー採用」で検索してここに辿り着く事もあるようだ。

アウトロー採用の説明会に参加した結果、私がどのような道を歩んでいったのかは以降の記事を読んでいただきたい。

 

また、言うまでもないが、私は一参加者に過ぎない。アウトロー採用にいかなる期待を抱いたか、そこでどのように立ち回ったか等は、他の参加者のブログやアウトロー採用の非公式ブログも参考にしていただきたい。

 

いずれにせよ、アウトロー採用に興味を持った方は、採用される側、採用する側、あるいはそれ以外の立場で接触を試みることをおすすめする。