三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

加速するダメ人間

2016年になってしまった。

 

諸事情により、一人暮らしをしているマンションで年末年始を過ごす事になった。

 

この数日家事はちょくちょくしているものの、初詣は行けないし、バーゲンの類やイベントには行っていないのでろくに汗をかいていない。自宅でやることは、申し訳程度の勉強と、動画サイトの閲覧、食事、そして寝る事だ。

怠惰な日々だ。

 

仕事納めの日に買いだめをしたことにより、ダメ人間っぷりが加速してしまった。スーパーで500gが100円に満たない乾燥スパゲッティを買い、冷凍の鶏肉を買い、朝食用に大量のヨーグルトを買ってしまった。おまけに根菜の備蓄や冷凍した白飯もある為に、食事関連で外出する理由もなかった。

 

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

レンジでパスタ 1.2L PS-G62

 

 言わずと知れた、レンジでパスタを茹でる容器である。

鍋で茹でるよりも手間無く、しかも失敗も少ないので長年重宝している。一人暮らしの部屋にはコンロが1口しかない場合も多く、調理器具の確保という面でも非常にありがたい。

6年前に500円程度で買った覚えがあるが、レンジという過酷な労働環境にも負けず、未だ現役である。

 

本来なら確保したコンロでソースを作りたいところだが、それを怠り、1食分50円程度の温める必要のないソースを入れたらダメ人間の完成である。個人的には、ハチ食品の粉末パスタソースがかなりお手頃でカロリーも少ないのでオススメである。

 キユーピーのあえるパスタソースはやや値が張るが、和風の具材で食べやすくハズレはない。

そういうことで、パスタを毎日昼に食べていた。

さすがにこれだけだと糖質に偏るので、これまたスーパーで買ったキャベツをスライサーで千切りにし、レタスとミニトマトをちりばめ、ドレッシング代わりの味付めかぶを入れたサラダと、納豆で見かけの栄養バランスを保とうとした。まあ、ろくに外出しなかったのだから栄養だの何だのあまり意味はない気がする。

とりあえず運動不足防止として、自室は高い階数にあるので、この2週間ほどはエレベーターを使わずに上りも下りも階段で行き来した。

実家で年末年始を過ごす時も、日持ちの良く美味なおせち料理という存在がダメ人間っぷりを加速させていたのだが、食材や味に関係なく、保存に適したものがあればそれは自分を尽く堕落させることもわかった。

 

今日もこたつでみかんを貪る。

夜を歩く

夜を歩く事が多くなった。

 

実家にいる時はさすがに無理だし、大学時代の下宿周辺は灯りが少なく歩くのは不向きだった。

 

それでも、たまに京都の三条・四条で夜通し飲み明かし、始発を待つ間、コンビニでも発売されているかのラーメンの香りに惹かれながら、ありふれた牛丼に誘われながら、薄暗い道やアーケードをほどほどの警戒心で歩く事が多かった。等間隔で並ぶカップルのいない、静かなせせらぎの鴨川をぼんやりと見つめるだけで、無心になれた。

 

就職して住み始めたここでは、少し古びた店々が夜になると一気に輝く。

 「行きつけのお店」がない、専ら一人で宅飲みする私には眩しい。

どこぞのスナックから聞こえる、酔いの混じった歌声を聴く度に、私の知らない楽しい世界があるのだとしみじみ感じる。

夜は寝るものなのに、みんないつしか寝る時間すら惜しくなっている。

 

何も考えることのなかった小学生の頃、夜の9時には寝ていた。

あの頃は、1日があと3時間で終わるとは思わなかった。

冷蔵庫が故障した

冷蔵庫が故障した。

冷蔵も冷凍も全く機能せず、ただただ食品が腐っていく。

 

今は新しいものを購入し、何とか元の生活に戻ったのだが、自炊をする機会が多い私には失ったものが多かったし、学ぶべき事も多かった。

原因など探っても仕方ないので、次回故障した時の為に今回気がついたことをメモしておく。

 

●物を詰めすぎない

故障したのは秋の気配も感じられる夏場だった。アイスクリームなど溶けると味も形も崩れて食べづらいものを入れていなかったのは不幸中の幸いであったが、それでもとても1日やそこらじゃ消費しきれないお弁当のおかずの作り置きやカットした野菜を入れていたので、一気に食べられるはずもなく腐ったりカビが生えたりして処分する事になった。

物を詰めすぎると性能が落ちるし、消費しきれない量の食品を置ける状態が無駄遣いを招く可能性もあるので、自炊するとしてもスペースの3〜4割が空くくらいのほどほどが良いのだと感じた。

 

●さっと消費する

これがなかなか難しいのだが、冷凍庫で「故障か?」と咄嗟に判断・認知して、さっさと消費したほうが食品のロスも少なくなる。冷蔵庫にある野菜をフライパンにぶちこんで野菜炒めを作ったり、肉や魚介類なら醤油や酒、生姜で味つけなど。このようにレシピや形式にこだわらず臨機応変に作れたら良いのだが。

 

●故障以外でも冷蔵庫は動かなくなる

例えば停電。私は台風による停電を度々経験しているのだが、停電時間が最も長かったのは(小さかったので殆ど覚えていないが)まるまる一週間である。

今後このように長い停電が起こらないとは言えない。

扉の閉め方が不十分で……ということもなきにしもあらずで、これは個人が気をつけなければならない。

 

●修理するより新しいものを買ったほうが良い時もある

以下のページに、国内の冷蔵庫メーカーの修理料金を掲載している。

 

修理料金の目安一覧表:日立の家電品

 

東芝 総合お客様サポート:冷蔵庫出張修理概算料金

 

今回のように冷蔵も冷凍も全く機能しない場合、おおよそ3〜6万円はかかると見込まれる。単身用の冷蔵庫は3〜4万円ぐらいなので、長期間使用して保証期間を過ぎているなら買い替えた方が良いと思える。

 

自炊する人間には今回の出来事はなかなかショックだった。故障したと分かった時は平日で食品を十分に消費できず、さらに新しい冷蔵庫を買おうと決心した時に諸事情あって実家に帰ることになったので、多くの食品を腐らせる苦い結果に終わった。

計画的になりたい。

本に興味がなくなっちゃった?

そういえば最近本を読んでいない。

 

いや、読んでいないと言うよりも、「書店で平積みにされている話題の本を読んでいない」だけかもしれない。

 

雑誌の類はまあまあ読む。最近だとサンキュ!、クーリエ・ジャポン、ターザンなど。情報の鮮度が長く保たれる事はないが、その代わりか内容は頭に入りやすい。

会社勤めになったし、そろそろ勤務期間に関わらず「新人」であることは卒業して手際よく仕事をこなしたいものだ。その為に読むとしたらビジネス系の書籍なのだと思うのだが、どうも手に取る気になれない。

 

「◯◯なら△△せよ」というタイトル、あるいはそんなコピーの帯が巻かれた本はそれだけで食わず嫌いをしてしまう。

やたら暑苦しく仕事を語る本も古臭いし、自己啓発本も何だか胡散臭いし……。「××すれば必ず出世する」?自分のルールぐらい自分で決めるし……。

 

結局手に取るのは技術者向けのリファレンスブックだったり、料理本だったりする。

いざ何か養分となる書籍を探そうとしても、書籍が溢れている上にどれにも深く興味が持てず、最終的に実践しやすい上記のような無難なチョイスになってしまう。

 

以前は新書を購入しては読み込み、購入しては読み込み、の繰り返しだったのだが、何故だろうか。本など読まずに自己研磨だけで成長できるとかそういう高見があるわけでもなし、寧ろ吸収できるうちに吸収したいのだが、どうも本に興味を持てない。

 

こんな調子でも読める本はあるだろうか。

自分でアイスコーヒーを淹れるということ

夏が近い。

 

今時、コーヒーを飲む事に苦労はしない。そこらの自動販売機、喫茶店、最近ではコンビニに行けばホットでもアイスでも淹れたてを飲める。

 

しかしカフェイン中毒気味の私にはドトールのSサイズすら辛い事もある。そして喫茶店はどこもかしこも人が多く、座る事もままならない。特にこれからは喫茶店で喉を潤わせ涼む人達も増えるだろう。

 

こうなったら、自宅で自分の体に合った量のアイスコーヒーを淹れるしかない。

ただ、自分で豆をチョイスして自家焙煎というほど凝ったものではなく、ブレンド豆をミルで挽いて香りを楽しみ、ドリッパーに注ぐだけ。手軽さはないが本格的でもない。ちょいと初期投資をすれば、わざわざオシャレなカフェでmacbookなんか持ち込まなくとも意識高い系を演じられる、もとい、自宅がカフェになる。

 

私が使っているドリッパーなどは、アシストオンという原宿にあるセレクトショップで揃えたものである。

これがなかなかシンプルでオシャレ。7000円ほどで一式揃えられる。

 

ミルも同じくアシストオンで購入。「ミル買わずに挽いてあるやつ買えばいいじゃねーか」と突っ込まれそうだが、塩胡椒もミルで挽いて削りたての香りを楽しむ人間なのである。

 

さて、アイスコーヒーを淹れる。

熱湯で抽出して冷やすという過程はホットと比べて手間がかかるので、喫茶店でもアイスはホットよりも値段が高い事が多い。その理由もわかるぐらい、どうすれば美味しく淹れられるのか(と言うよりも、ほどよく冷たくできるか)迷いに迷った。

 

サーバーを氷水で冷やすのがいいらしいが、熱湯を注いだ直後だと急激な温度変化に弱いガラスが変形・破損する恐れがある。

そこで、カップに氷を多めに入れる方法にした。サーバーからカップへコーヒーを注いで、氷がほとんど溶けるようなら足りず、逆にそこそこ残るようであれば十分だ。

ちなみにカップはステンレス製のものである。大学時代、自宅の近くにコメダがありよくモーニングセットを食したのだが、コメダのアイスコーヒーに使われているステンレス製と思しき銀色に光るカップが良く冷えていて印象深い。

 

そこそこの手間暇をかけて淹れたコーヒーはなかなか美味しい。ナントカコーヒーに行かなくとも、コーヒーは、飲める。

 

We are 井の中の蛙

地元のとある大病院に行った時、職場の先輩がこう言った。

 

「ここの地域の人って、この病院で産まれて、この病院で死ぬんだね」

 

そんなものなのか、と産声と聞こえぬ悲鳴の交わる空間で思った。

 

確かに、自分の知る限りではこの土地から殆ど離れずに現在まで生きている人なんてごまんといるのだ。人生のスタートとゴールがあの大病院でも何の不思議もない。

しかし、その方言訛りの強い先輩の発言により、産まれてから死ぬまでを同じ土地で過ごす事の安心感と危機感との両方を抱いてしまった。

 

自分の場合、生まれた土地、高校まで過ごした土地、大学時代の土地、そして現在の土地といくつか大きく異なる土地を過ごしてきた。全て日本国内なのであるが、各々の地域だけの特色や慣習(そして時として意地の悪い暗黙の了解)に驚く事もあり、疑問に思う事もあった。

 

関東に移って思ったのは、ここにいる人もまた産まれてから死ぬまで同じ土地で過ごす可能性が高いという事である。それほど文化や労働に満ち満ちている事の証拠なのだろう。

率直に言うと、関東人は田舎出身の私を馬鹿にしたような親切心で接してくることがたまにある。「ほらJRの改札はあそこだ、乗り換えはこうだ」「エスカレーターは左に並べ」と。私は旅行をする際予め調べておく性格であるし、人に聞く前にググるので聞いてもいないのに「お前田舎者だから知らないだろう。教えてやるよ」という態度は気に入らない。

 

それと同時に、田舎の事を何も知らない都会人を私は馬鹿にしている。

都会人の田舎のイメージは時に極端であり「学校にバキュームカーが来る」「コンビニに行くまで2時間かかる」なんて言われる事は多々ある。まぁいくつかは確かに自分の田舎に当てはまるのだが、「田舎には都会にあるような便利なものはない」と言わんばかりの思い込みをする都会人には冷笑せざるを得ない。

 

そうだった。皆井の中の蛙なのだ。ゲロゲロと、自分の周囲のことが自分の全てであり、世界の全てだと勝手に誇っているのだ。

 

私の世界も、まだ狭い。

 

不安定という安定

去年の1月にこのブログとTwitterを始めた。

それと同時に病み上がりからの所謂「社会復帰」をしたのだが、私のような若造よりも遥かに人生経験と勤務年数が多いはずの人達の、あまりにも非建設的な人事マネジメントに大いに失望した(このことはうんざりするほど書いたしもう二度と書かないつもりだったが、今でも思い出しては舌打ちするほど不快な出来事だったので吐き出したい)。

 

仕事の契約期間が終わり、しばらく採用試験等の勉強に専念しようとしていたところ、かの採用の説明会でプログラムの参加を決意し、交通費を稼ぐ為に短期バイトを始めた。

おそらく人生で一番がむしゃらになった時期だった。(当時からすれば)得体の知れない就活サービスに参加し、田舎で食べていけるほどの求人はいくらでもあったのにも関わらず、あえて関東に足繁く通った。

 

そしてとある会社の社長からありがたいお言葉をいただき、現在は新天地で働いている。

 

去年の今頃、やたら生きる意味を探していたが、結局そんなものに意味を追求する事自体に無理があると自分の中で結論が出た。少しだけほっとした。

そして、今、確かに生きている。起床し、電車に乗り、働いて、帰宅して、寝る。

 

しかし、これが安定だとは思わない。村上春樹の『ノルウェイの森』よろしく、死が生の一部として存在しているように、不安定が安定の一部として存在しているように思える。

断薬を始めてから、副作用と思われる吐き気や希死念慮から解放された。しかしどこかに不安定な要素を持っていることに、安定を覚える自分がいる。

 

状況に溺れず、当たり前のことがいつまでも続く錯覚を忘れる。強くなれなくてもいいから、ひとまず他人の目を気にせずに、たくましく生きるしかないのだ。