三桃シ倒語の日記

お前の枠にはまってたまるか

エルピー・プルの以前以後

高校生の自習の場になってしまった公共図書館のサービスをフル活用しながら、情報を集め、糧としていく。

原付に乗るシミュレーションをしながら自転車を漕ぐ。

あのガードレールのネジをはめた人は今何をしているのか。そもそも生きているのか。

とりとめもないことを考えながら今日もポイント倍増セールを実施しているドラッグストアに駆け込む。

生きる意味は、わからない。
他人から教わるものではないとはわかっている。
何も背負わない。何も背負いたくない。

『NPOで働く 「社会の課題」を解決する仕事』

工藤啓氏は若者の就労支援を目的としたNPO法人育て上げネットの設立者であり、理事長である。本書には彼の生い立ちや境遇、育て上げネットの立ち上げとその事業内容、メンバーの紹介が記されている。

私はNPOに所属していたこともなければ、NPOとの直接の関わりもなく、NPOへの漠然としたイメージは「社会奉仕、ボランティア」に留まる。

ところが、この育て上げネットは私のイメージとは大きく異なる。普通の会社員と似た給料、待遇で法人として回転している。メンバーの平均年収は300万から350万円ほど。社会保険は一通りそろえており、産休や育休の制度もあり、著者である工藤氏自身も育児休暇を取得するという。ここまで情報があると「ボランティアというより、普通の会社じゃないか」と思ったが、P26で普通の会社とこのNPOとの相違点がわかる。

 

株式会社と何が違うのかと聞かれることもあるが、僕は利益を株主に分配するのではなく、課題解決のための事業拡大や新規事業への投資に使うことだと答えている。もちろん、同じように事業拡大や新規事業への投資に使う株式会社もたくさんあるが、NPOは株式を持たない。ゆえに、利益を株主に分配するか、新しい事業に投資するのかを選択するのではなく、課題解決に投じることをそもそもの目的としている。

 

NPOとは「NonProfit Organization」の略ではあるが、非営利ということは「利益を得てはいけない」のではなく、「利益を目的としていない」のであって、このNPOにおいては「若者の就労の課題を解決することを目的としている」という。

設立当初、工藤氏からは月5万円の給料しか払えない状況ではあったが、後の事務局長である石山義典氏は快く引き受けたという。30代で妻子を抱えており、当時経営していた学習塾の状況がかなり悪かったにも関わらず、である。

その境遇、給料でyesと仕事を引き受けることは社会投資に対する意気込み、自己犠牲に対する覚悟を感じる。「フルタイムで他のバイトでもやっていたほうがもっと給料がもらえるのに……」なんて感じてしまうのは私の心が貧しいからだろう。自己の利益より社会の課題を解決させることを優先するその精神には、頭が下がるばかりである。

 

育て上げネットが支援の対象としているニートやひきこもりに対する風当たりは強い。彼らが働くことの社会的意義とは。工藤氏がそれを説明した中で一番印象が強い部分を引用する。

 

「残念ながらこの日本社会には国民を生涯にわたって支え続けるだけの財源も余裕もありません。高齢化の進行は激しく、これまで日本を支えてくださったひとびとを支える若者までが支えられ手にまわっては、国家は沈没してしまいます。これからはすべてを行政に頼っていくのではなく、個人と民間の叡智を結集して共助のなかで社会の担い手、地域の支え手を増やしていかなければなりません。行政にすべてを任せられる時代は終わっています。」

 

国の借金は1000兆円を超えた。次の時代に必要なのは、何なのか。

育て上げネットは、数えきれない答えのうちのひとつを知っていると感じている。

 

NPOで働く

NPOで働く

 

 

カララの顔に撃ち込まれた銃弾

間接的にだが、専門職サイドからお叱りを頂いた。


仕事に必要な部品がセットされていない事が多い、と。

そして「このようなことが続くならあんた達に仕事をまかせたくない」とも仰ったそうだ。


この事に関しては、チーム内で厳密にチェックし、ミスを減らしていくしかない。そして、専門職サイドの負担を減らしていく。


しかし、(こうしてお叱りを頂いたのだから今まで以上に注意して避けたいことではあるが)あまりにもミスが続き専門職サイドの怒りが頂点に達し、私を含めたこの部署の解散や解雇につながったとしても、私は動揺することのないようにしたい。


明日は何が起こるかわからない。


「今」はいつまでも続かない。


極端な話になるが、私が通勤中に、左折する自動車の死角にいて、事故に巻き込まれる可能性だってゼロではない。


生きる意味などわからない。

ただ、何が起きても冷静になれる心構えが生きる道標になりえる。

原付免許で生きましょう

私は普通自動車運転免許、いわば「普通免許」「普免」をもっていない。
持っていて「当たり前」な風潮が強い普通免許だが、何故持たないか。その理由は主に二つある。

・空間認知能力が低いと自覚している(つまり、適性がない)
・自動車の購入や自動車の維持による出費を抑えたい

しかし、「顔写真付身分証明書」の便利さに惹かれ、ついに免許の取得を覚悟し、試験と事務手続きの面で警察のお世話になることになった。

ただし、普通免許ではなく、「原動付自転車運転免許」である。

わかる!解ける!原付免許一発合格問題集

わかる!解ける!原付免許一発合格問題集

免許取得のための学科試験を合格するために買ったのは赤シートで問題の解答や空欄を隠すタイプの、このテキスト。表紙にある「5つの対策」とは、「ひっかけ問題対策」であり、具体的に言えば以下の通りである。

1.数字
2.標識・標示
3.例外のあるルール
4.読解力
5.ケアレスミス

学科試験は交通ルールを問う試験であるが、ひねくれた表現がなされた問題もあり、「国語の試験」だと言う人もいる。本書ではその「国語の試験」にも対策が練られており、主に「3.例外のあるルール」「4.読解力」が該当する。
勿論、単なる試験対策のみならず、運転手が守るべき交通ルールや心構えについても触れられており、地域によっては見る機会が少ないであろう標識や標示までカバーされたフルカラーの折り込みも役に立つ。

お陰様で満点で試験に合格できた。

*追記
デジタルな今時、紙媒体以外で学習を進める方法もある。

ゲンチャレ!原付免許試験問題にチャレンジ
日本二輪車安全普及協会による原付免許に特化したページ。
学科試験(このページでは筆記試験と表現)の問題集が5つあり、実際の学科試験と同様の問題数と配点で問題にチャレンジできる。

スマートフォンでも無料で手軽に試験対策ができる。
問題数が300問と多いのが特徴である。
無料なので仕方のない部分ではあるが、間違えた問題のブックマークができないこと、文章題のみの構成であり図が掲載された問題がないことが難点か。
Android版もGoogle Playで配信中。

『実践型レファレンス・サービス入門』

このブログで何度か取り上げている「レファレンス」とは、A. L. A. Glossary of Library Termsによれば

利用者が、情報を入手したり、また研究・調査のために図書館資料を利用する際に、利用者に対してなされる援助に直接関わる図書館業務の一面をいう。 

 

もっとざっくりと、簡単に言えば、「調べ物相談」である。

 

1995年に富山県の図書館で利用者を対象に実施されたアンケートによれば、レファレンスサービスの利用経験が「なし」と答えたのは78.4%に及ぶ。利用しない理由として「レファレンスサービスを知らない」(55%)、「レファレンスサービスは不必要」(36%)、「レファレンスサービスは面倒」(2%)。しかし、実際に利用した経験の「ある」人(13.8%)の評価は「回答に満足」が85%に及ぶ。

つまるところ、「認知度は低いが利用した時の満足度は高い」のがレファレンスサービスである。

 

私がレファレンスサービスに注目し始めたのは司書課程がきっかけである。今の時代、ネットで「ググる」なり「wikipediaを参考にする」なり、資料としての評価が芳しくないネットを情報源にする風潮が強い。本書においても、レファレンスサービスの実施における注意点で、それと類似した指摘をした、利用者の発言が引用されている。

 

「コンピュータ依存症にかかっていないか。機械に入力してある分類・件名でわかることは本に接近する手段のごく一部。多くの図書館でディスプレイに出る表示が、あきらめさせ追い返す道具になっている。本そのものにあたって探す姿勢を失っていないか?」(鈴木由美子氏の発言, 1996. 6. 29)

 

レファレンスサービスは、情報が氾濫する現代だからこそ資料検索の専門家たる司書に求められるスキルの一つと言えよう。

 

本書に掲載された、詳細な回答プロセスが描かれたレファレンス事例の数々は、レファレンススキルを磨く図書館関係者のみならず、勉学に追われる学生や研究者が文献を探す際のヒントになる可能性を秘めている。はずである。

 

実践型レファレンス・サービス入門 (JLA図書館実践シリーズ (1))

実践型レファレンス・サービス入門 (JLA図書館実践シリーズ (1))

 

 

フラウ・ボゥは幸せになれないのか

後輩となる新人さんが入った。

ひとりは1日で辞めた。

もうひとりは辞めることを仄めかしつつも続けている。


辞めた人にとやかく言うつもりはない。

適性だってあるだろう。無理に仕事を続けても気分は良くないだろう。


しかし、新人さんが定着しないと仕事が回らなくなる。

辞めた一人は「ついていけそうにない」と一言残して去っていった。

このまま「ついていけない」人が入っては辞め、入っては辞め、の繰り返しになるのではないのかと、少々不安になる。


そして私自身も、この身分では長く続けられないことになっている。


長くいてもらいたいのが現場の本音らしいが、所詮は使い捨ての労働者だ。


生きる意味はここには置いていないと思う。




クリーミィマミがもたらしたもの

上司に◯日に資格の試験があるので休みます、と伝えたところ、それを聞いていた新人さんが

「今の仕事やめるの?」

と戸惑っていた。

この人にとっては、資格=仕事なんだろうか。
「資格がないと仕事ができない」仕事に就こうとしていると思われたのだろうか。

ちなみに、今まで取った資格の中でも一番ウケがいいのはMOSだったりする。パソコン操作に関するスキルを証明するのにはちょうどいい資格らしい。
人間と接するよりもパソコンと向き合っていたほうが気が楽だ。ちょくちょく始めているプログラミングはなかなかできないけれど。

生きる意味って何だ。